日々を織る|繋がるために Vol.5

Person1 坪井絵理子さん

ⅰ 一人の人と長く密に関わっていく
ⅱ 自分の常識は、自分の思い込み
ⅲ 辞めたいと思った時が、ほんとうのスタートラインだった。
ⅳ 名前を覚えてもらうことから始めたリレーションシップ
ⅴ 心が満たされる瞬間
ⅵ 自立のための支援
ⅶ 自立の痛み
ⅷ 外海に出る経験 2/2
ⅸ 地域と繋げる

「利用者さんたちの笑顔があったから、あの時、辞めずにすんだんだと思います」
毎朝が仕事の憂鬱との闘いだった頃を思い返して坪井さんは言った。
「皆、優しいんです」
坪井さんは、利用者たちを皆さんとは言わずに皆と呼ぶ。そこには、家族や友人を呼ぶような親愛の情がある。

「たとえば…ついこの間も、入浴の介助の後、廊下を歩いていたら、一人の利用者さんが『坪井さん、坪井さん、これこれ』って、靴下を持って追いかけてくてくれたんですよ。
『お風呂、しとったんやろ、靴下濡れてるで、そのままやったらアカンから、これに履き替え』って。新しいのを持って来てくれはったんです。『これ、きれいからな』って、わざわざ、新しいのを出して」

その時のことを思い出すように少し間を置いて、坪井さんは言葉を繋いだ。
「すごくね、見てくれてるんです。ほんとうは、こっちが皆のことに基を配って、いつも見ているものなのに。利用者の皆がこっちを見てくれている。そして気づかってくれるんです」
お互いのことをちゃんと見て、気づかい、いたわり合う。その心の交流はたしかに、友人であり、仲間であり、家族だ。

「仕事が終わって、玄関で靴を履いていて奥から皆の笑い声が聞こえて来た時、胸の奥が温かくなって、すごく幸せな気分に満たされるんです。ああ、この仕事をしていて良かったなって」
坪井さんにとって、この1日の仕事を終えて帰り支度を整え、施設の玄関で靴を履く背中に笑い声が流れてくるこの瞬間が、この仕事を選んで良かったと思う時だ。

その瞬間を反芻しているかのようなやわらいだ笑顔を浮かべた坪井さんとの間に、少しの間、心地のいい沈黙が流れた。白湯を飲んだような緩やかな温かさが体の内側でぽわっと広がっていくようなその心地よさに、彼女が反芻している瞬間を想像する。

「でもね」
ちょうどよい湯加減の湯船から体を引き上げるように背筋をすっと引き上げて、彼女は一気に話し始めた。
「それではいけないんです。利用者の皆は、ここを出ていかないと。ずっとここで暮らしていてはいけないんです。ここにいた方が安心で、楽かもしれない。でも、それでは駄目なんです。
私たちが一番に願うことは、皆が自立してくらしていくこと。だから、あの笑い声に満足していてはダメなんです」