日々を織る|繋がるために Vol.9

Person1 坪井絵理子さん

ⅰ 一人の人と長く密に関わっていく
ⅱ 自分の常識は、自分の思い込み
ⅲ 辞めたいと思った時が、ほんとうのスタートラインだった
ⅳ 名前を覚えてもらうことから始めたリレーションシップ
ⅴ 心が満たされる時
ⅵ 自立のための支援
ⅶ自立の痛み
ⅷ 外海に出る経験
ⅸ 地域と繋げる

ワンツースリー音楽団の活動など、坪井さんの務める施設では、利用者が地域に出て施設外の人たちの中でいろいろな体験ができるよう、様々な取り組みをしている。一人でも多くの利用者に地域の中で自活してもらいたい。それが施設の基本的な考えであり、原則だ。施設内にある自活エリアや、地域の住宅に用意したグループホームなどでのトレーニングを経て、自活へのステップを無事進んだ人が施設から独り立ちをする。

「施設の玄関を出ていく背中を見送る時が、いちばん嬉しい」という坪井さんに、後ろ姿を見送る時に寂しさはないかと訊ねたら、「自活がうまくいくようにという願いでいっぱいで、寂しいとか思うことはないです」という返事が、迷いなく返ってきた。そして、「でも」という言葉が続いた。こちらを見る坪井さんの眼差しが、強くなっていた。

「そこから、うまくいく人ばかりではないんです」
独り暮らしを始めてから、心や体の調子を狂わせて病院に入ったり、別の施設に入ったりすることがあるという。

いったん施設を出れば、その人はもう施設の利用者ではない。すなわち施設で支援を受ける人ではない。地域での生活にうまく馴染むことができず、自活に支障が生じた時、支援を行うのは地域の担当者だ。

「どこかの施設や病院に入ったという知らせを受けとった時には、ほんとうにやるせない気もちになります」
その利用者の顔を思い浮かべ、手を差し伸べたい、支えになりたいと思っても、それは坪井さんがすることではない。たとえできることがあっても、それは坪井さんがすることではない。できることに歯止めをかける仕事の範疇という囲いには、コンプライアンスの側面もあって、もどかしさを受け容れるほかない。

しかし、起きる、寝る、三度の食事をとるという基本的な生活習慣を身につけることに始まって、自分の意志を伝えるところまで、利用者が一歩一歩進んだ自活への道を伴走者のように歩んできた坪井さんにとって、そのやるせなさはどれほどだろう。

「でも、無力感に浸っていても何も変わりませんから。せめて自分にできることはないか、何ができるかと考えたら、地域と繋がることなんです。利用者では無くなった人にできることはないんですが、でも、施設ではどんな風だったとか、調子が悪い時にはこういう風にするとよかったとか、何か役に立つ情報をお渡しするくらいのことはできると思うんです」

胸を痛め、感傷に浸っていても何も始まらない、自分にできることをやろう。そう気もちを切り替え、行動に移すまでに、坪井さんは何度、辛い知らせを受け取ってきたのだろうか。

「そのために、地域の施設を訪ねています。大きな施設、小さな施設と、地域に施設を見つけたら、出来るかぎり訊ねていって、お話して繋がります。それから、地域雄支援員、ボランティアの方も含めて、地域で障がい者の支援に携わっている方に、できる限りお会いする機会をつくって、細かく細かく繋いで、ネットワークを育てています。
 そうしておけば、何かがあった時、そうだ、あそこに連絡しておこうと思い出してもらえると思うんです。それが利用者さんが施設を出た後にも、今の自分にできる精一杯の支援だと思っています」

施設を出て一人暮らしを始めて、もしもつまづいたら、また戻ってくればいいと思う。けど、そうなる前に、1人でも多くの人に支えてもらえるように、理解してくれる人を1人でも増やしたいのだと、坪井さんは言う。

「直接、利用者を支えることはできなくなっても、バトンを託した人たちが私たちを頼ってくれる環境を作ることで、間接的に支え続けることはできるから。利用者を地域に送り出す地域移行のための支援というのは、そういうことだと思うんです」

利用者を見守り続けるためのネットワークを育てる。それは利用者をけして「1人にしない」で支え続けるということだ。

                                          < 繋がるために|終 >

協力:社会福祉法人 産經新聞厚生文化事業団